子育て日記

シュナウザーの子育てを通して感じたことなどを綴ります。

9/29/2006

Docと子育て8

                 2004年07/07 画像から外れたJr. Lala 、Hanna

 3匹はオシッコだけはシートで出来るようになりましたが、ウンチはまだまだでした。
 離乳食と母犬のお乳とで、一日5回ぐらいに分けて与えていました。真夜中に与えなくても良いように、出来るだけ遅い時間に授乳と離乳食をと考えてはいたのですが、そんな絵に描いたようには行きません。

 7月 7日 
 午前3時 お腹が空いたコールで起こされる。Docが授乳している。そのあと、一遊びしてウンチとオシッコに付き合う。すっかり育児ノイローゼだ。
 Jr. 1030g Hanna 670g Lala 570g

 7月 8日
 今日はDocのトリミング。
 朝5時半 グルグル、ピーピーの声で起きて見ると、ウンチの嵐。
 15時 Docトリミング。
 お尻の始末の方法を聞いて来た。夜寝る前に、狭いところで入れてしばらく置く、広い場所に出たら、トイレに(ケージで場所を確定する)入れて、用足ししたら出してやる、を少し我慢しながら繰り返す。・・と。3匹の巣箱をキャリーにした。
 Jr. 1050g Hanna 705g Lala 605g

 7月 9日
 午前2時 ピーピーの声で、キャリーの外へ出す。おしっこだけ。その後1時間毎にピーピーコール。全部は付き合えず、5時に様子を見ると、又もやウンチの嵐・・・。
 17時 3匹の食事。一騒ぎしてキャリーの中で寝たり、出て来て籠の中で寝たりしている。
 Jr. 1080g Hanna 730g Lala 615g

 7月10日
 午前2時 ピーピー。キャリーの扉をあけ、外の籠にも入れるようにしておく。
 午前5時 再びピーピー。巣箱周りのウンチとオシッコの掃除と仔達の体拭き。
 Jr. 1060g Hanna 720g Lala 640g

9/28/2006

Docと子育て7

                  2004年 07/06 離乳食を食べるLala

 7月初めか頃から、オシッコの躾を始めていました。そろそろかなと思う頃、ペットシーツの上に連れて行き、お尻をゴニョゴニョすると、3匹はとりあえずオシッコらしくしました。

 7月 2日
 チビ達の爪切り。
 離乳食を開始する。パピーフードのミルク粥をほんの少しつ゜つ。

 7月 3日
 Jr. 870g Hanna 560g Lala 471g
 梅雨の最中だというのに、乾燥して、Docには快適マーク。
 キャリーを巣箱にする為、購入。

 7月 4日
 Jr. 900g Hanna 610g Lala 540g
 離乳食も上手に食べられるようになった。

 7月 5日
 Jr. 940g Hanna 630g Lala 540g
 朝 5時半、チビ達のごそごそで目が覚める。Docが仔達の世話を焼いていたが、産室の中はオシッコとウンチの嵐 !
 体を蒸しタオルでゴシゴシ拭いて、産室を掃除。仔達はまたぐっすり眠ってしまった。

 7月 6日
 子達は互いに噛み付き合ってじゃれている。
 Jr. 980g Hanna 650g Lala 540g
 食後の大運動会が大体夕方の7時頃から始まる。
 チビ達に水も飲ませてみる。まあまあと言ったところかな。
 耳は聞こえるようになったが、未だ目は薄い膜が掛かったようになっていて、見えないらしい。
 

9/27/2006

Docと子育て6

 6月25日 
 Doc 散歩前に大粗相 ! ウンチ2こ、オシッコ1。どうしちゃったの。
  薬のせいかも・・  Jr. 600g Hanna 370g Lala 305g

 6月26日
 今朝は粗相かなかった。  Jr. 620g Hanna 400g Lala 350g

 6月27日
 Jr. 680g Hanna440g Lala 350g
 授乳はしたくないけど、お知りの世話だけは焼くという変な母親だ。乳房は痛々しい程傷だらけだ。

 6月28日
 Jr. 690g Hanna 450g Lala 380g
 そろそろ巣箱から出して歩ける場所を確保しないと・・

 6月29日
 Jr. 720g Hanna 470g Lala 400g
 チビの体重が伸び悩んでいる。

 6月30日
 Jr. 740g Hanna 500g Lala 430g

 7月 1日
 離乳食を開始する。ジョーカーの店長とTelで話す。 爪は切っても大丈夫、巣箱は新しいものと交換したほうが良い、など。
 Jr. 800g Hanna 530g Lala 490g

 7月 2日 
 仔犬達は寒がっているらしいので、籠に入れてタオルを掛ける。みんな折り重なって丸く塊り眠っている。
 
 長男は籠の外へ這い出して、脚だけ残して寝ている。

 お姉ちゃんは少しばかり暑くなったので、籠から頭を出して、裏返しになっている。チビは相変わらずタオルの下。

9/26/2006

Docと子育て5

                       2004年06/23 腹だしルック ?

 6月22日 台風一過。本当に晴れ晴れしい。Docの4歳の誕生日。
 Jr. 520g Hanna 350g Lala 250g
 昨夜の授乳が目一杯だったか、夜中に授乳の気配はなかったふう。
 Docも少々くたびれモード。

 6月23日 曇り
 子供達はお乳が不足気味。
 Jr. 560g Hanna 360g Lala 270g
 12:00 獣医と仔犬の爪の件でTel。 爪の先は丸める程度で切らないよう、注意される。筋肉や骨の発達を妨げるからだと言う。

 21:00 Docの乳房が傷だらけで痛そうなのと、多分本当に痛いのだろう、あまり飲ませたがらない。

 6月24日
 Jr. 590g Hanna 370g Lala 310g
  6:00 朝の散歩は暑く、辛そう。おしっこか極端に少ない。(夫の書き込み)

  9:00 Doc、耳掃除。仔犬の成長は良好とのこと。まずまず、一安心。乳房の傷に抗生剤をもらう。塗り薬は、どんなものも×。

 Docの乳房は傷だらけで痛々しく、チビたちの爪が凶器に見えました。母親は譬え犬であっても大変なんですね。

9/25/2006

Docと子育て4

                    2004年06/17 Docと3匹 

 6月19日
 長男 420g、長女 290g、次女 190g。既に長男と次女は倍の違いがある。

 6月20日
 長男 460g、長女 300g、次女 200g。
 3匹に名前をつける。
 長男 Doctor Jr. 長女 Hanna  次女 Lala。

 この頃、Docは深夜2度の授乳をしている様子でした。

 6月21日 夏至 台風6号のせいで風が強く、植木は室内に避難、Docは散歩に行きたがらない。
 Jr. 500g、Hanna 340g、Lala 240g。
 3匹ともヨチヨチ歩きをする。ヨタヨタとも言える。少し行っては転び、歩いては、ころびしている。もう間もなく目も見えるようになるだろう。チビたちが元気なことが唯一嬉しい。

9/23/2006

Docと子育て3

            2004年06/19 あられもない姿のDocと尻尾が無い3匹

 6月18日
 3匹がお乳をもらっている。次女が長男を押しのけて乳首に吸い付いている。いくらか頼もしくなったかな・・。
 次女は基本的に飲む量が2匹に比べて少ない上、後脚の狼爪の傷の影響もあるかもしれない。いくらも体重が増えないままだ。このままで良いのだろうか ?
 長男 380g、長女 270g、次女 170g。
 
 10:00 獣医師と電話で次女の育ちが緩慢なことを相談する。 " 脚が悪いと言うことは、或いは他にも悪いと思われる。自然にしていて、育たないのならあきらめることを勧める。個体に生命力があればそれなりに育つと思うし、多少短命でも仕方が無いでしょう。自力で生きる力が動物には必要だと考えます。 "と言われた。

 18:10 急に次女がぐったりしてキューキュー鳴いている。2匹の側でDocに頭を預けて寝ているが、どうやらしゃっくりが止まらないでいるようだ。しゃっくりと同じリズムでキュー、ヒック、キュー、ヒックと体ごと揺れる。こんな小さな体で、横隔膜が長時間痙攣すれば、呼吸困難になって死んでしまう・・。
 タオルで包み手の中で、なでたりさすったり軽くゆすったりして、泣きながら様子を見た。しばらくすると、しゃっくりが次第に小さな波になり、声も出さなくなった。
 大あくびをしている。何度かあくびを繰り返して、酸素不足を補おうとしているかのようだ。

 20:30 夫と交代して夕食を摂る。
 医師とあんな話をした後のことだから、なおの事ドキドキしてしまった。


 Docのお腹は細い爪で引っかき傷だらけ。赤くなってとても痛そうでした。
 この日、生き永らえることが出来た次女は仰向けになって手足を伸ばしたり、ピクピクゆれたりして眠っていました。

9/22/2006

Docと子育て2

                        2004年06/13 Docのお腹で眠る長男

 6月14日 
 3匹の断尾に動物病院へ行く。次女は狼爪も取ってもらった。
 次女の後脚は少し変形しているが、生活レベルでは問題ない。出来るだけ後脚で踏ん張るようにして、筋力をつけるよう、注意された。
 長男 250g、長女 190g、次女 145g。

 動物病院へはDocも付き添いました。片時も仔から離す事は出来ません。仔達は籠に入れて、Docは抱いて連れて行きました。
 小さい体ですから、麻酔などは使えません。そのまま鋏でジョキジョキ切るのです。ちょっと見ていられない光景でした。ピーピーと鳴く声が診察室の外まで聞こえて、Docの耳が震えていました。 
 この頃、Docが食事を摂りたがらない日が続いていました。母乳の量が心配でしたが、次女を除いてしっかり飲んでくれていました。

 6月15日
 最高気温31℃、湿度40%、室内は涼やかな風が吹き抜けているが、Docは暑がって伸びている。
 長男 290g、長女 200g、次女 160g。

 6月17日
 頭の後の方に張り付いたようになっていた耳が前の方へ折れるようになった。
 長男 360g、長女 260g、次女 160g。 次女だけ体重が増えない。

 誕生以来、次女だけ別にミルクを与え、母乳も他の仔たちより先に飲ませていたのですが、体重が一向に増えず、やきもきしていました。
 Docは仔達の世話を、それは甲斐甲斐しく見ていました。ちょっとでもピーピー鳴く声が聞こえると、どこにいてもすっ飛んでいきました。
 

9/21/2006

Docと子育て

固まって眠る3匹2004年06/12




6月12日(土) 長男 190g、長女 120g、次女 110g。
 気持ちの良い太陽の光だが、直接陽に当たると暑いらしい。産室を涼しい廊下へ移動。Docは暑いので、産室には入らず、椅子の上で休んでいる。

 4日目でも体重は殆ど変化がなかったのですが、ミルクと母乳はよく飲んでいました。この頃は " ピービー " と鳴き、お腹がすいたの、暑いの、寒いのとうるさいぐらいでした。
 Docの授乳期の食事は大変なもので、パピー用フードに牛乳を掛けたものとゆで卵の黄身半分、牛生肉一切れ、と言った具合でした。時々食べたがらないで私達を心配させていました。
 Docより、私の方が育児ノイローゼになりそうでした。



9/20/2006

Doc-出産2日目

 6月8日 3匹が無事産まれました。
 6月9日の夕刻、小さい2匹に人口哺乳を始めました。パピー用のミルクをほんの少しです。作ったミルクの大半はDocが飲みました。
 体の大きな第1子は自分で乳房を探り当てて、お腹一杯になるまで張り付いています。 ですが、100gしかない2匹は弾き出されて、なかなか思うようにも行きません。
 ジョーカーの店長は、毎日40gぐらいは体重が増えるのが普通だと言います。いきなり1.5倍にはなりっこありません。一般的に子供は150gから170gくらいで産まれるらしい。してみると、この3匹はよほど小さく産まれたわけです。


Docの乳房ははちきれそうになっているが、十分と言うには程遠いのだろうか。
この日3匹の体重は変化無し。


Docの白さに比して子供達の黒さが一際目を引きます。
 夕方、10分程度の散歩に連れ出し、脚洗いの後蒸しタオルで乳腺をマッサージしました。
 3匹は何事も無く育ってくれるのか少し心配でした。

9/18/2006

閑話休題

                  2006年09/18 ヴァルコニーからみた夕日

 久し振りの夕焼けだ。台風の影響で風が強く、雨雲はすっかり追い払われてしまったよう。明日は晴れ。

Doc-出産2

 犬の胎盤は帯状で腹巻のように仔犬を包んで固定しているらしい。かなりの大量の胎盤を母犬は処理することになり、食べさせるのは最初の1頭だけで、後は拭き取って綺麗にしてやるのが良いと本にありました。
 縦に裂いた新聞紙も次々に補充し、目を離す暇も無いくらいでした。

21:20 第3子 誕生 100g ♀

後頭部白い、胸に白斑






21:50 陣痛始まる

22:11 第4子 誕生 100g ♀

右耳の後ろかなり白い、眉間白い




23:00 Docは夫と10分程度の散歩に出る。仔犬の側を離れたがらない。


 犬のお産は意外にも一頭ごとの間隔が長く、全頭出産するのに一昼夜と言うのも目面しく無いと聞いて、覚悟はしていましたが、Docの場合は30,40分程度の間隔で次々に出産しました。
 しかし、なんと言う小ささでしょうか。こんなに小さくて、はかなげで、立ち会った私達もすっかり感動していました。

9/16/2006

Doc-出産

 私達はDocの出産で、知らなかったことや、これから学ぶことなどを心に留めておきたいと考え、出産の日から日記をつけることにしました。この日記は、今では仔犬の為と言うより、生活の一部になって、呆け防止の手立てにもなっています。
 
 6月7日
  21:30  Doc 36.7℃ 体温が下がる。息遣いが苦しそうになる。

 6月8日
  07:00  散歩の前に、南側ベランダの前でDoc粗相。
        散歩は比較的良く歩いたらしい。
        朝食は殆ど食べない。ゆで卵1/2、レバーのおやつ少し。
        息遣いが激しい。行動が少しおかしいかな。
  17:15    獣医より電話あり。今夜は学会で連絡が取れないかも知れないと。
         夜間病院の電話番号をもらう。
  19:00   陣痛が始まる。
  19:30   第1子 逆子 死産 ♂


20:40  
第2子誕生 ♂ 140g
右後足白線あり








 第1子が死産だったことで私達は些かショックを受けましたが、医師は非常に淡々としており、私達も続く子達の為に受け入れざるを得ませんでした。小さな遺体を清潔なガーゼに包み、出産が終わるまでしばらく仏壇に安置しておきました。死んだ仔の体に触れた手で新生児に触れると母犬が死んでいると勘違いするのだと聞きました。


9/14/2006

Doc-出産準備

                     2004年05/30 アカンサスの花
 
 出産の準備の最初は、産室を設けることでした。産室に慣れさせるために、予定日より、10日以上前には準備しておく必要がありました。近所のスーパーから縦50cm、横60cm程度のダンボール箱をもらい、高さを10cmぐらいに切り(大きなお腹が触れないよう、出入り口だけ5cm位に低くしてあります)、切り口の始末をして、中にはバスタオルをたたんで敷いた上に、縦に細く裂いた新聞紙を敷き詰めます。一頭生まれる度に、汚れた新聞紙を取替え、綺麗な産室にしてやる為です。私のベッドの脇にケージを組み立てて、中に置くことにしました。タオル類もたくさん用意しました。
 心配なのは、神経質になっているDocが産室に入ってくれるかどうかでしたが、意外にも何の疑問も感じることなく、すんなりその気になったようです。出産が近づくと、産室となる場所を求めてウロウロすると聞いてましたが、それも無かったように思います。
 夏でも湯たんぽは必要とのことで、薬局を2軒ほど探して買い求めました。頭数が多いと母乳が不足することもあり、粉ミルク、哺乳器、体重測定の為の目盛の細かいスケールも必要でした。あれこれ探しましたが、2kgまでのキッチンスケールにしました。その他、ガーゼ、はさみ、木綿糸、ビニール袋などです。
 Docが見て頂いていた獣医はチャンピオン犬を輩出するほどのシュナのブリーディングも趣味でされており、出産の記録ビデオを貸してくれました。さらに、出産に際して医師と連絡が取れるよう、携帯電話と、救急医療センターの電話番号を控えて医師から渡されていました。
 毎日2度検温していました。大体38℃が平熱で37-36℃に下がると24時間以内に分娩が始まると、本には書いてありました。
 Docは6月8日朝、体温が下がったのです。交配から62日目でした。ちょうどその頃仮住まいのヴァルコニーで、アカンサスの花が咲いていました。

9/13/2006

Doc-出産間近

                          2004年06/01 交配後55日目

 Docが交配を終えて、50日後ぐらいのある日、獣医へ胎児数の確認に行きました。このくらいになるとレントゲンも撮影できるようになって、胎児に対する影響は少なくなるようです。病院に依っては、超音波検査を実施しているところもあるようですが、ここではレントゲンを撮りました。犬の出産は一頭出産する毎にかなり長い間隔があり、頭数を事前に確認していないと最後の仔が判らないのです。場合によっては1昼夜かけての出産などというのも目面しくないと聞きました。
 フィルムを見せてもらいましたが、綺麗に湾曲した背骨がCの字型に4つ並んでいました。これはちょっと感動もので、思わず涙がこぼれそうになったくらいです。
 毎日熱を測るようにと、直腸検診用の体温計を渡され、体調管理に万全を尽くすように言われて帰ってきました。犬は、出産の時に体温が下がるので、それが目安になります。下がり始めて数時間から10数時間の間に陣痛が始まり、出産するらしいのです。
 6月になると、お腹もはちきれそうに垂れ下がり、見るからに大儀そうで、朝の散歩に出掛けては行くのですが、全く歩きたがらないと夫がこぼしていました。階段でお腹がぶつからないように、降りる時は抱っこして出掛けて行ってました。
 妊娠2ヶ月目ぐらいから、目だって胎児が成長するので、栄養管理にも大層気を遣っていました。いつもは日に2度の食事を3度にし、卵黄や牛乳を1度、といった具合でした。

9/11/2006

Doc-妊娠中

                    2004年05/22 甘えるDoc

 今思い返してみると、少し時間的な記憶がおかしいことに気が着きました。
 母の病気とDocの妊娠中の出来事は、互いオーバーラップして進行していました。母の亡くなった日のことは鮮明に想い出せますし、Docが出産した日のこともやはりそうです。日にちも良く覚えています。母は7月29日に亡くなりました。Docは6月8日に出産していて、その間約2ヶ月の間があるというのに、何故か、母の死後の出産のように錯覚しているのです。
 多分、母のことと、Docのことをはっきり区別して記憶しているせいではないかと思われます。子供にとっての母親の死はかなりな重大事ですし、精神的な抑圧も、母の介護といった日常の生活から受けていたでしょうから、当然切り離して考えていたろうと、思えます。
 母の入所していたホームでは一日も早い入院を望んでいましたが、本当に探し出すのが困難でした。母は認知症の程度が軽く見られ、(本当はかなり進んでいたのですが)体の自由が利きましたので、専門の病院ですら、体が動く人は引き受けられないと、断られ続けました。
 最後に、困り果てて、自宅看護の方法を取る予定で、住宅を変えることにしました。今の住いを得るために3ヶ月もの準備期間が必要でした。その長い期間の結果、母の看護を自宅でせずにすんでしまったことは今も悔やまれます。
 最終的に埼玉県の飯能に病院が見つかって、入院できたのは6月23日でした。母は入院を境に日に日に衰えていくのがよく分かりました。おそらくホームでの緊張が解けて、自分の体の心配は医師に任せれば良いと思ったからのようでした。

9/09/2006

Doc-妊娠

                             2004年05/25 妊娠49日目

 一般的に、交配後3週間ぐらいを妊娠初期と呼んでいて、人の場合と同様に、つわりが見られると本にありましたが、Docの場合は1,2度吐いたことがあった程度の軽いものでした。食欲不振にもならず、ごく普通の毎日でした。それも、少し後になって、受胎が確認できるようになってから "つわり "だったと解ったぐらいでした。
 出産後しばらくはシャンプーもトリミングも出来ないので、お産カットしてもらう時期を出来るだけ引き延ばしていましたが、40日目位 ( だったと記憶していますが ) に近所のトリミング屋さんに行って来ました。もうお腹が少し出っ張って来てましたので、もっと早い時期の方が良かった、と言われました。大事な妊婦に何かあっては、と心配されたようです。
 脚もお腹も髭も、飾毛はみな短く刈り込んで、どこのワンコかと思うぐらいでした。
 お産カットをした後のDocと散歩に出ると、会う人毎に、 " 赤ちゃんが産まれるのですね。" と声を掛けられました。何やらちょっぴり嬉しかったことを思い出します。
 

9/08/2006

Doc-交配2


                       2004年05/12 甘えるDoc

 交配の日はかなり緊張していました。何時の約束かを、今思うと全く覚えていないことに驚きます。多分午前中だったような気がしているんですが・・。
 4月6日 Docと車でジョーカーへ出掛けました。Docはお出かけするのが大好きなので、ちょっとルンルン気分だったと思います。
 お店に着くと、お相手のクィーザー君は既に到着していて、準備は整っていました。どんな風に交配させるのか、見たいような気もしていましたが、別室で、とDocを連れて行ってしまいました。と、言ってもすぐ隣の部屋でしたが。
 しばらくすると、Docのキャインキャイーンという鳴声が聞こえ、私は一瞬ぎょっとして、おろおろするばかりでしたが、10分ぐらい経ってDocの声が次第に小さくなった頃、店長が、" 交接しているところを確認してください。" と呼びに来ました。こんなことを確認するものなんだと思ったものの、いかに動物と言えども我が子です。まるで強姦されている現場を見るようなものです。ただし顔を見せないように、と注意され、そっと覗くだけでした。これは交配の契約書にうたわれている項目の一つなのです。
 『イヌの繁殖・・・』を既に読んでいましたので、交接の仕方やメカニズムは一応は理解しているつもりでした。それでもおろおろする気持ちと、こんなことをしなくてはいけなかったのか、という相容れない気持ちでひたすら待つしかありませんでした。
 3、40分が過ぎた頃、ぐったり疲れたようなDocを迎え、抱いて帰りました。Docも疲れたでしょうが、私はもっと疲れてしまいました。後1回、同じことをするのかと思うと、ちょっと気が重くなりました。

9/06/2006

Doc-交配

                    2004年05/05 マッサージしてもらうDoc

 母のこともかなり気がかりなことではありましたが、Docの交配の時期が迫っていました。
 交配の件がまとまると、出産に関わる知識を得るため、『イヌの繁殖と保育を知る本』をよく読んでくださいと渡されました。  
 ジョーカーでは、" 2度掛け " というシステムを採ることにしました。排卵日と確定した日を挟んで、前後2日に亘り交配させるのです。また、この交配で受胎しなかった場合は次回のシーズンに再度交配させる為の保険のような形の契約になりました。
 出血が確認される日の正確を期するため、かなり真剣に観察する必要がありました。ヒートシーズンが近くなると、毎日お尻にティッシュをあてて未だかまだかと、それは神経質になっていました。
 2004年3月24日に出血を確認し、10日後にスメア検査をする為、獣医を訪ね、大体4月7日が排卵日と分かりました。Docは、発情が弱く、こうした検査の結果の出しにくい体質だということも、その時知りました。
 Docは4月6日、8日と2度交配の為、ジョーカーに連れて行かれたのです。
 この時、3歳と9ヶ月でした。
 

9/04/2006

Doc-交配を待つ

       2003年10/13 トリミングしたばかり

 母はその当時認知症が進んで、同居が難しくなっていました。仮住まいでは部屋数も不足していましたし、自宅介護の出来る満足な環境にはありませんでした。何より2戸に跨っていては各戸の管理すら思うようには行きません。事務所だからこそ、手を掛けずに居られました。仕方なく、瑕疵工事が終わるまでと言い聞かせて、介護ホームに入所することになりました。
 Docは度々母のところを尋ねて、他の入所者からもずいぶんと可愛がってもらいました。ホームではアニマルセラピーということも十分承知しており、可能なら、来所の度に一緒に来てくださいとも言われていました。ですが、犬嫌いの人はどこにでも居るもので、中に一人、どうしても嫌だという人の声が大きくなり、ホームのパブリックスペースへは入れなくなりました。動物は入所者の自室で、と通達があり、他の人達には会えなくなったのです。 それでも母は、毎回のDocの訪問をとても喜んでくれ、又連れてきてね、と必ず帰りしなに言うのです。
 母はもともと心臓が弱い上に、腎機能が衰えており、ホームにいて、何度か入退院を繰り返していました。ホームでは度々のこうした事態に、他の入所者へ不安を与えることに危惧を覚え、ホームを退所して、確かな病院へ入院させることを勧められました。
 しかし、母を入院させられる適切な病院が見つからないまま数ヶ月が過ぎて、再び入院せざるを得ない状況になりました。
 そんな折、Docの春のヒートシーズンになってしまったのです。

 

9/02/2006

Doc-お婿さん決まる

                   2003年10/17 仮住いで

 仮住まいでの生活にも少しずつ慣れて、散歩に出たり、窓辺で寛いだりと、Docはそれなりに新しい環境に、順応しようとしていました。
 Docのヒートシーズンは大凡夏と次の初春でした。引越しの前に夏のシーズンが終わっていましたので、次は3月頃と予想していました。それまでに何度もペットショップへはトリミングにも行きますので、その都度お婿さん情報を確認していました。最終的に、ジョーカー所属のチャンピオン犬クィーザーに決めました。理由はとても単純で、Docに顔が良く似ていたからでした。それと、店長から " この交配からは、顔の可愛い仔が産まれます "と言われたためでもありました。
 その時、体重が6.2kgだったのですが、あまり太ると、受精しにくいらしく、これ以上体重を増やさないでと注意されました。時々、駄々をこねて、食べたがらない時もあって、そういう時は放っておくことにしていましたが、その頃は比較的順調にキチンと食べていましたので、いくらか太っていたかも知れません。
 いよいよお婿さんが決まると、今度は残す予定の無い仔の嫁ぎ先を探す準備をすることになりました。ジョーカーでは引き取ってくれるとはいっていましたが、出来れば、自分達が知っている人に譲渡したいと考えていました。 

9/01/2006

Doc-お婿さん探し3

                       2002年02/07 居間で
 
 2003年4月頃から仮移転先の選考があり、幾つかの候補地から希望の場所を選び、抽選されました。さらに数回の選考がありましたが、一向に私達の希望に沿う住居が見つからず、移転するのが最後の住戸になってしまいました。結局10月になってようやく移転出来ました。
 移転先の住いは2戸に分かれていて、広いほうを住居に、狭いほうを仕事場にして使うことにしました。それまで、代々木にあった私の事務所も移しました。母が入院することになり、介護の為には近くに居る必要に迫られた為でした。結果的にそれがDocに幸いしました。
 慣れない住居に一人置かれることがなくなったからです。
 日中は私の仕事場でウロウロしたり、足元に丸くなったりして、ひがな一日中私の側にくっついて安心しきっているのがよく分かりました。
 2004年の春、Docのヒートシーズンになる前に、お婿さんを決めることにしました。