子育て日記

シュナウザーの子育てを通して感じたことなどを綴ります。

8/31/2006

Doc-お婿さん探し-2

                 2003年02/23 書斎の窓辺

 2002年の後半から2003年のDocの誕生日あたりで交配すると決めて、いざ準備というところで、意外な障害に遭遇してしまいました。
 私達の住んでいたマンションはちょうど10年の瑕疵保障が切れる年限を間もなく迎えようとしていました。その前に、不具合の調査・改良工事といった段取りから、工事全般に亘り、住民総意に基づく諸々の事態に対処する必要が出てきました。調査の為に、屋外では人の出入りが激しくなり、住戸に因っては屋内での作業も出来し、落ち着いていられなくなってしまいした。
 1年あまりの外壁に関わる瑕疵の部分についての工事は、一旦は終了したかのように見受けられたのですが、思わぬ落とし穴が随所に発見されたのです。新聞やTVなどでも報道されたので、あるいはご存知の方もあるかも知れませんが、所謂「欠陥マンション」だったのです。細かい説明は省きますが、それが為に、一時住いを移すことになりました。
 妊娠初期の精神状態を安静に保つことはおろか、出産するのに十分な慣れた環境づくりが困難な課題となってしまったのです。

8/29/2006

Doc-お婿さん探し

                   2002年01/01 大好きな椅子の上で

 2歳になる頃にはすっかり " ドクター" でも女の子、ということが浸透してましたので、お婿さんになりたいと言う申し出は度々あったようです。夫が散歩で出会うシュナ飼いの人からです。飼い犬の子供を残したいと思う気持ちは良く解ります。
 私はむしろ、1頭だけで飼っていることに少し不安がありました。犬でも猫でも、人の間で暮らせば、自分も人であると、思い込むようになると言うのです。犬同士の本来のコミュニケーションを持たせてやりたいとも考えました。
 それには、どうしたら一番良い方法なのか、その時は決めかねていましたが、LEEZASBURG  というHPを見て、子供を産ませたいと強く 願うようになったのです。そのHPではシュナ3匹と楽しく暮らしている様子がよく分かります。
 しかし、おいそれとはお婿さんを決めるわけにも行かないのではないか、と思ってもいましたので、ペットショップに聞いてみたり、獣医さんに相談したりと、いろんなことをしてみたのです。
 多頭飼いする心得や、残す予定の仔犬以外の引き取り手の事前の手配などといったことは、全く知らないことでしたので、とても神経質にもなっていたと思います。
 たまたま、トリミングに通っているお店は、ペットショップジョーカーというシュナウザーではちょっと有名なお店でもあったので、店長に聞いてみました。交配に適した時期や体調管理の方法など、何だか聞いているだけで、不安になるほどそれは、なかなか大変そうでもあったのです。

Doc-生爪を剥ぐ2

                    2001年01/01 居間で

 生爪事件は、夫の要望で続きを語ることになりました。
 獣医の往診を受け、包帯でぐるぐる巻きされ、抗生剤の注射を受けたと記憶しています。多少は熱があったのかも知れませんが、その日はシュンとして、元気がなく、いかにも病人みたいな顔をしていました。もっとも、家族が、そういう扱いをするからなんでしょうが。
 次の朝、散歩はお休みかな、と考えていたのですが、Docは全く関係なく、早くも出掛ける意気込みで、短い尻尾をあらん限りの力で振っていました。仕方が無いので、包帯の上からビニル袋を二重にしてかぶせ、ゴムバンドで留めて、出掛けました。
 ここからは夫の話です。
 Docは普通に散歩に出た積りだったのに、あれっ今日は何か変 ? といった感じで、包帯をした脚が地面に着けられないのです。そこで3本脚で歩くことになりました。ところが、3本脚でも、少しも違和感がなさそうにぴょこぴょこと歩いて、やっぱり一時間程散歩して帰ってきたのです。多分普段よりはゆっくり、大儀そうにしていたとは思います。そして、夫の曰く、" Docはなんて気丈なんだ "でした。
 この感想は少し擬人化しすぎのように感じます。おそらくは、見える通りなんだと私は思います。不都合なことを、不都合なこととして受け入れる能力があるということは、それだけ適応力もあり、野生的だとも言えます。散歩に出ることは、自分のテリトリーの見回りといった意味合いもあるのでしょうから、本能的な衝動と言えるのではないでしょうか。
 帰宅して、脚を洗う段になって、ようやく飼い犬として、飼い主に甘えることを思い出したかのように痛がったりしたものです。
 でも、こんな風に突き放した見方が出来るのもずっと以前の出来事だからだと思います。

8/26/2006

Doc-生爪を剥ぐ

                2001年05/03 初めての昭和記念公園

 1歳になる前だと記憶していますが、生爪を剥いでしまったのです。
 散歩に出る前にリードをつけたり、迷子札をつけたりと支度をする為に乗せる台があって、そこから飛び降りたのです。生憎、小さな穴の開いた板だった為、爪が引っかかってしまったようでした。私が何かの用でつと違う方向を向いた瞬間、Docが私を追ったのでした。
 落ちたことに驚きはしたものの、そのまま散歩に出て、何食わぬ顔で小一時間の散歩を楽しんで帰ってきたのです。その間、ビッコをひくこともなく、夫は全く気づかなかったと言います。そして、玄関でふと脚を見ると血まみれだったのです。もう、びっくりするやら呆れるやらで、てんてこ舞いしながら応急手当でごまかし、大急ぎで獣医さんに来てもらいました。すっかり爪が抜け落ちて、妙に残らなかったのが幸いしたようでした。ただ、神経が露出して痛がるかも・・と心配されましたが、その後の2回程の通院で普通に歩けるようにはなりました。
 人間でもそうですが、ある時そうだと判ったときから、急に具合が悪くなったりしますが、Docもその点では人と同じでした。それからしばらくは脚に触ることも出来ないぐらいに痛がったりしたものです。でも若いということは、犬でも人でも素晴らしいことで、どんな時も、回復力の凄まじさに圧倒される想いでした。
 次の日の朝、剥がれた爪を台の下で見つけたのでした。

8/25/2006

Docの毎日-涎

            2003年01/02 正月

 未だ小さかった頃、髭が赤くなってきたのを獣医に話すと、" シュナは涎で赤くなってしまいます " と言われ、赤くなったのを取るローションで手当てをしたことがあります。しばらくするとそれほどではなくなり、それっきりになりました。近くに居る2,3頭のシュナの髭やお尻、足先が真っ赤になっているのを見ると、あら、あら、と思ったものです。
 どうした訳かDocは涎も少なく、トリミングに行ってもトリマーさんから " 髭がきれい " とよく言われました。私達には何故涎が少ないのかは判りませんでしたが、ストレスが少なかっただけかも知れないと思われます。
 子供が産まれて、親子といえども順位争いをするようになるまでは、理解出来ずに居ました。今、子供達と些細な争いにも本気でガウガウしているのを見ると、これはやはりストレスが原因なのだと考えられるようになりました。ただでさえ、黒い毛の多い恐い顔に上塗りするかのように、髭の赤さが増してさらに強面になってしまいました。2年前のDocの髭が懐かしく ( ? ) 思い出されます。

8/24/2006

Docの毎日-ホリホリ

2003年12/18 ホリホリにいそしむDoc
 
 家には少し大きめのいろんな形の椅子が何脚かありましたが、Docが好んで乗る椅子は2脚でした。でも、大概どんなものの上でもホリホリはしました。バリバリと引っかくと椅子の生地が破れる程度の、少し柔らかめのものが適しているとばかりに、この椅子でもしょっちゅうバリバリやっていました。これは今でも変わりません。シュナウザーが野鼠捕りに勤しんでいる頃からの習性らしいのですが、面白いことに、実際の土の上でやっているのを見たことは有りません。
 少し変だと思うのは、そうやってホリホリした後には決まってその場で丸くなって寝てしまうのです。ネズミ捕りだったら寝ていられないように思うのですが・・。

8/23/2006

Docの毎日

                     2002年5/26 夫の膝の上で

 毎朝の散歩は、いつも同じコースではつまらないと、いろんなコースを開拓して楽しんでいました。
 元々自然観察の好きな夫は雑草にしろ、樹木にしろ、あそこにこんな木が、ここにあんな花がと、Docにもまして楽しい様子でした。
 休日などに私が一緒に出ると、Docは大はしゃぎ( 夫の意見 )で、それこそウサギのようにピョンピョンと跳ねて、みんな揃っての散歩が嬉しくてしょうがないといった風です。前方からやってくる人でも犬でもいち早く見つけ、お尻を振り振り姿勢を低くして待っています。ワンコの友達は横跳びして挨拶し、飼い主にはお座りしてなでてもらうのが決まりでした。" 美人だねー " " 可愛いねー "と声を掛けられるのが嬉しいのです。勿論飼い主の私達も素直に喜びました。
 帰宅して、脚、髭、お腹の飾毛に付いた汚れを洗い、ドライヤーで乾燥させ、フカフカにするのが、私の仕事でした。洗われるのも、ドライヤーも不思議に嫌がりもせず、なされるがままでした。
 そして、食事です。ドライフードにほんの少しの生野菜のトッピングを乗せて食べさせていました。 飽きて食べたがらない時などはトッピングを工夫して、トマトだったり、ジャガイモや、かぼちゃ( 茹でて ) だったりしました。

8/22/2006

私とDoc

                     2003年10/25 夫のひざの上で

 ペットショップの社長の自宅で見初めてから、2週間後に我が家にやって来たDocは、2時間あまりの心細いドライブで、少なからず怯えてもいたようでした。到着するなり、見知った顔の私を見つけて、肩に乗ったままの姿でそれこそ2時間ほど張り付いていました。ものも言わず、( と言っても人ではないので、しゃべる訳では有りませんが、) 人の温かみを確認しているかのようでした。それ以来、Docにとっては母親代わりになったのかも知れないと思います。何をするにも私の意思をひとつひとつ確認しながら、甘えたり、叱られたりしながらの毎日でした。
 ですからDocにとって、言うことを素直に聞く順位の一位は私でした。散歩係の夫には愉快なことではなかったろうと思われますが、Docとの生活はそんな瑣末なことに関わっていられないほど、私たちは振り回されることになりました。尤もそれは、楽しい、幸せなことではありましたが。

8/19/2006

夫とDoc

     2003年10/21 散歩 ボーダーコリーのチェフ君と

 Doctorを迎えるにあたっては家族の中で全く異論が無かったわけではありません。ですが、家族の一員として皆がDocのことを考えるようになると、事情は一変しました。どうしたら快適な環境を創れるのか、何をしたら犬とのコミュニケーションが図れるのか・・、などなど。果たして一番の変革は夫に有りました。
 それまでの自分の、生き方から考え方までを大きく軌道修正する必要に迫られたのです。大人だけの毎日に、いきなり幼い子供が闖入した訳ですから、誰もが些かなりとも変更を余儀なくされて当然です。
 夫は元々動物好きの優しい人なので、Docは自分達の子だとすんなり受け入れてくれたようでした。毎日の散歩もそれは楽しげに出掛けて行くのです。時々途中で出会うご近所さんや犬友との会話で、" 愛娘 " と呼んでいることが分かりました。散歩の折々に出会う人や犬の話題には事欠かなくなりました。

8/18/2006

亡くなった母とDoc-2

                      2003年01/03 初詣

 母( この時80歳でした )のためにと飼うことにしたDocでしたが、初めのうちは扱い方が分からず、散歩は夫、日常的な世話は私がやっていました。お互い( Docと母・私達 ) に慣れて、散歩も毎日の生活もリズムが刻めるようになると、今度はDocがリードを強く引き、高齢者には一人で散歩に出すのはちょっと無理かしらと思われるようになりました。結局散歩は夫ということになり、母は日中の自分の生活の中でDocと接する方を選びました。時々みんなで出かける時や、夫の帰りに合わせて駅までお迎えに行く時 ( 勿論これは母とDocの散歩の口実 ) などに、リードを持ってみたりもしましたが、やはり引く力は相当なもので、既に足腰の覚束なくなった人には無理だったようです。でも、そんな散歩をとても楽しんでくれ、Docの歩きの速さに置いていかれる事があっても、一緒に居られることを喜んでいました。
 リーダーウォークなどと言う訓練もやっと始めたばかりのワンコは、外に出る嬉しさに飛び跳ね、走り、と全身で表現できるパフォーマンスをなんら悩むことなく楽しんでいましたが、母の遅れてくる姿を " お座り " で母の方を見つめて待っているのを見るのは少し誇らしくもありました。

8/17/2006

亡くなった母とDoc


                      Picnic 2002年10/12

 Doctorとの生活で一番困ったことは亡くなった母が自分の食べるものを与えることでした。どんなに注意しても" だって欲しがるから・・" " 可愛いから・・" とやめる気配は一向に無く、母の食事の中からあれこれ食べさせていたようでした。母の部屋へは友人も訪れ、お菓子なども豊富にありましたから、食事以外にももらっていたと思われます。
 ある日散歩から帰った夫がそっと包みを開いて見せてくれました。なんと爪楊枝がそのままの姿で出て来たというのです。折れたりせず、腸壁も傷つけず出て来てくれた事にどんなにほっとしたことか知れません。ずっと後になって知ったことですが、それは大型犬ではありましたが、焼き鳥の串がやはりそのまま出てきたと聞いてぞっとしましたが、こうした事故(?)は間々有る事なのだと解りました。
 私達と一緒の食事時は叱られるのがDocにも解っているらしく側へは寄ってきませんでしたが、少しずつ母の側に寄って行き、知らぬ間に何かしらもらって食べていることもありました。
 その後母は入院することになって、母は勿論Docも寂しかったに違いありません。Docの妊娠を知っての入院で、子供が産まれるのをとても楽しみにしていましたが、仔達には会えず逝ってしまいました。
 母の死の直後に出産しましたので生まれ変わりなのだと皆からは励まされたことを覚えています。


 

 

8/15/2006

コートカラー-2

 
 ブラッキングを経験した後はもっぱらバリカンによるトリミングでした。
 でもかなり濃いクレーでしたから、父犬のブラックが影響しているのだと思っていたのですが、3歳位からでしょうか、" 綺麗な銀色ですね " と言われるようになったのです。私達にとって毛色は日常的に変化の無いものという意識がありますから、全く気付かずにいて、言われてみれば確かに銀色になっています。父犬の黒はどうしちゃったの ? 原因はバリカン刈りなんだそうです。バリカンで毛を刈るようになると毛質が柔らかくなり、色が薄くなると言うのです。だからと言っていまさらブラッキングに戻すわけにもいきません。トリミングされる度に少しずつ明るい銀色になっていきました。

 訂正 : ストリッピングと有るのをブラッキングに訂正しました。





未だかなり濃い色のDoc 2002年8/12 秋田千秋公園大賀蓮池

8/14/2006

コートカラー

                      2002年7/14 散歩2
 
 Doctorの自身のコートカラーはソルトアンドペッパーで、父犬がブラックだった為かなり後まで濃いグレーでした。
 シュナの毛は刈るのではなく、ストリッピングナイフで漉き取る、あるいは抜き取るのが好ましいトリートメントで、硬くブラシのような毛に仕立てるのが良いとされています。施術に慣れさせる為、6,7ヶ月ぐらいから始めるのが適当だそうで、Docの場合も6ヶ月ぐらいだったと記憶しています。ショードッグなら兎も角、普通に家庭犬であれば痛い思いをさせてまでやる必要は無いように思います。飾毛を除く全身を3パートに分けて夫々3週間ほどの間隔をあけて施術が完了するのですが、毛抜きで感じる痛さの範囲はかなり限られているらしいのと、慣れもあって、トリマーさんの言うようにそれほど痛いわけではない、とのことですが、一度経験すれば2度目はもうたくさんと言う気になります。施術直後は赤膚になって痛々しいのです。ですが、施術完了後1ヶ月過ぎた頃 毛が伸び揃って、黒くしっかりした毛並みで艶っつやの、Docにとっては最高のコートコンディションだったのです。

 訂正 : 体全体の毛を抜くのは ブラッキング と言います。思い込みというのは恐ろしいものですね。ずっと間違えていました。

8/13/2006

動物保険

                     2002年6/10 証明写真

 Doctorは2歳の時動物保険に入りました。血統書に拠ると、もしかしたら体が弱いのかも知れないと夫は真剣に心配していましたし、考えてみれば家族の一員なのですから保険も当然といえばそうなのだと思い、早速手配をしました。全身の写真と毛根のついた毛を数本-DNAの鑑定に使用-を送り、登録されました。血液型はDでした。
 2回目のワクチンからずっとお世話になっている獣医で毎年狂犬病予防接種時に精密な血液検査を実施して健康診断も余念無く来ましたが、全くの病気知らずで今日に至っています。

8/12/2006

サイズアウト

                     2002年7/14 朝の散歩

 ミニチュアとしてのサイズはスタンダードと言われたことは書きました。この年2歳になって、成犬になりましたが、会う人毎に未だ子供ですか ? と必ず聞かれました。つまり小さいのです、他のシュナ達に比べて。ミニチュアのスタンダードの体高は30-35cmまでで、それより外れることがサイズアウトなのだとようやく解りました。Docは30cmしかなく、いくらか小さいほうなのかも知れません。 小振りなせいか可愛いと言われ、当人(本犬)は大喜びで言ってくれた人にお愛想を振りまく始末でした。何故か " 可愛い " という言葉は完全に理解しているようで、あるか無きかの短い尻尾をちぎれんばかりに振って擦り寄って行くのです。

 

 

8/11/2006

躾-2

                    2002年4/19 秋田千秋公園

 Doctorが言葉を理解出来るようになったと書きましたが、むしろ私達がDoctorの言葉を理解するようになったと言うのが正しいのかも知れません。その時々で見せる表情の一つ一つが、普通に人と接している時となんら変わりが無いことに気が着いたとも言えます。この頃からでしょうか、Doctorと私達との間に差のない生活ができるようになったのは。
 夫が毎朝散歩に連れ出すので家での始末が比較的少なくなった事も手伝って、おしっこの失敗もなくなりましたし、いろんな命令もよく解る様になりました。まるで一遍に頭の中がリセットされたかのようでした。驚いたのは私達の方です。ペットショップの社長からは " 家系的な素質は元からありますから、それほど苦労しなくても躾けられます。" と言われてましたが、素質があったことはさておき、苦労は相当しました。勿論私達が何にも知らないということに原因の一端はありましたが・・。
 素質があったと思うようなこともあります。声を掛けなければいつまでも同じ所で待っているとか、私達の食事時の行儀の良さとかは教えたわけでもなく、ごく自然に本人(本犬)がやっていました。

8/10/2006

                        2001年10月 長良川上流にて

Doctorのおしっこの躾はなかなかうまく行きませんでした。
 初めて連れて来られた時の嫁入り支度は、90cm×110cmのアンダーパット付のケージとピンクのサークルベッド、ペットシーツが1パック、 ドライフード1袋、犬用ミルク1缶、ささ身と牛肉の缶詰が夫々1缶、餌鉢、水用鉢、胃薬などでした。それらの使い方を説明して、ケージを組み立て、サークルベッドを中に入れ、ペットシーツを1枚角の所に敷いて "この中で生活させて "と言って帰りました。
 さあ、それからが大変でした。叱らないで、褒めるようにとも言われてましたが、どのタイミングで褒めたら良いのかが解りません。2,3ヶ月の頃は失敗しても大目に見られていましたが4ヶ月、5ヶ月になっても思うようにシーツの上では出来ません。何回もペットショップに電話をかけて相談しましたが、おいそれと納得出来る方法に巡り合えず、イライラしていました。1歳の夏、長旅をして他所の家で数日過ごすことになって私達はとても心配して出かけましたが、それがうまく行ったきっかけになりました。何故かそれからのDoctorは人の言葉を理解するようになったのです。

8/09/2006

シュナウザーの特質

                    Doc1歳2ヶ月 秋田十和田湖畔

 大型犬は涎も多く、傍に寄れば特有の獣臭がします。ペットショップの社長曰く、シュナウザーは毛も抜けず臭わない、家庭犬にはもって来いの犬種であると。それは、実に本当で、季節になると毛が家中を舞っているとパグやラブラドールの飼い主から聞いたことがありましたが、まったくといって良いほど毛が散っていることも無く、特有の犬の臭いも殆どしません。これはまた臭いや床の汚れに対して少し神経質なところがある夫には、好都合なことでもありました。
 シュナウザーは少し豪胆なところがあり、ちょっとの事では驚いて吠えることも無く、テリア種としては珍しくキャンキャン言わないとも聞いてましたが果たして当にその通りだったのです。家族に迎えて数日後に夫が 言いました。" おかしいね、うんともすんとも言わないねー、鳴き方知らないのかな "
 来客に対する警戒心が芽生えたのは3歳過ぎてからです。そして、守らねばならない仔を持つ親となれば、黙っている訳にも行かないのでしょう。今度は頑固な性格を反映してちょっとやそっとでは黙らせることが出来なくなったのです。

8/08/2006

ワンコの耳-2

 6,7ヶ月の頃の耳は半分ほど立っていて、コートが長くなると耳が重くなって(多分)下の方から折れてくるという繰り返しでしたが、1歳になる頃にはすっかりピンと立っていました。ペットショップでの説明では、シュナウザーは本来立ち耳で、幼犬の愛らしさを求めての選択的交配の結果だと聞きました。確かにどんな犬も幼犬は耳が折れています。いつだか昭和記念公園へ行った時、立ち耳のシュナを見つけて嬉しかったことを覚えています。
 うちでは立ち耳が "普通" ですから、折れた耳のシュナを見るとかえって変な気がしたものです。そのせいかどうかは分かりませんが、ドクターは凛々しい顔立ちともっぱらの評判でした。

8/07/2006

ワンコの耳

Doctorは母犬のコートカラーがソルトアンドペッパーで父犬はブラックでした。どちらもチャンピオン犬で家系的には大変優れていると青山ケンネルの社長から聞きました。ミニチュアとしてのサイズはスタンダードでサイズアウトは絶対しませんとのこと。こんなことを初めに聞かされても何のことやらさっぱり理解できずチンプンカンプンでしたが、飼い始めてしばらくすると時々見かける他のシュナたちと当然見比べます。一体どこが違うんだ ? 違うところなどどこにもありません。脚は4本だし目だって2つ、・・でも明らかな違いを見出しました。耳が立っていることです。これは個体差の問題で、家系とは関係無いでしょうが、どこを見渡しても耳の立ったシュナは見かけません。
 1歳の夏に秋田にある友人の別荘に招かれて初めて車で遠出した時のことは忘れられません。あるサービスエリアで休憩していた時の事、近くに座った人から "あら、ウサギ ! "って言われたのです。"へっ、どこに ? " 思わず辺りを見渡して・・初めて気がつきました。シユナウザーの耳って大きく長いのだと。

8/04/2006

ワンコの名前

 初めて見た時この髭にやっぱり惚れたと思います。ペットショップ(青山ケンネル)の社長にすぐにでも名前を考えてくださいと言われ、咄嗟に"ドクター"と答えていました。「そうかドクターか、良い名前だ。」と言ってくれました。未だ片手に乗るぐらい小さいワンコでした。
 ドクターは間もなく我が家にやって来ることになりました。2000年9月15日のことです。
 夫が散歩に出るようになって、会う人ごとに"ドクター君"と呼ばれることには些か抵抗があったようですが、顔が凛々しく、私達ですら女の子に見えないぐらいでしたから致し方ありません。シュナウザーの女の子を飼っている家が2,3 近くにあり、会うと必ず うちのだんな様に、と言われたようです。
 亡くなった母はドクターが自分の心を癒し、励ましてくれる正真正銘のドクターだと、よく言っていました。母は「いいじゃない、女医さんだって言えば。」そう夫に言い笑っていました。私は医者のつもりではなく、博士の積りだったのですが・・・。

8/03/2006

ワンコが家にやってきた

 私達はミニチュアシュナウザーの♀2.5月齢を2000年9月に家族に迎えました。小さくてむくむくしていてそれは可愛らしいワンコでした。2回目のワクチン投与もわざわざ獣医さんに往診してもらうほど気も遣っていました。
 故人となった母がひとりで留守番していては寂しいだろうというのが飼う事にした理由の一つでもありましたが、たまたま友人の勧めでペットショップに行き、一目惚れしてしまったのがその最大の理由でした。飼ってみればそれまでの生活とは大違いで、はしゃいだにぎやかな雰囲気に満たされ家中に幸せな空気が充満していると実感できるほどでした。
 そして雨の日も雪の日も夫はワンコとの散歩にいそいそと出かけて行くようになったのです。子供達が増えてからも、それは変わらず続いています。 雪が降ればピョンピョン跳ねる姿が可愛いだの、風が吹けば風になびく飾毛がきれいだのと、飽きることなく続けられました。

 2,3歳ぐらいが交配に適していると獣医などからアドバイスもあり、その予定でいましたが、住いのゴタゴタがあってなかなか思うようには行きませんでした。結局4歳になる3週間ほど前に出産したのです。今は子供達も2歳になり、毎日がドタバタですが、楽しい生活です。